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この付近には「千本松原」と称するキリシタンの処刑場のあったそうです。
1664年に尾張二代藩主徳川光友が刑場を土器野(はじきの:現在の新川町)に移し、1665年に処刑者の菩提を弔うために清涼庵を建立しました。
1686年に形態を整え「栄国寺」と改められました。 |
御本尊は、犬山市薬師寺の木造丈六(じょうろく)の阿弥陀如来像が移されたもので、名古屋最古の三大仏のひとつです。平安・鎌倉時代の仏師春日作と伝えられています。
江戸時代には「火伏(防火)不思議の阿弥陀」の別名があり、防火の阿弥陀様としても信仰がありました。旧薬師寺付近には当時より大火の記録がなく、栄国寺付近にも、戦災時、焼夷弾が一帯に多数落下しましたが、いずれも不発でこの付近のみ被災を免れました。 |
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キリシタンの犠牲者をとむらう千人塚やキリシタン灯籠、切支丹遺跡や、切支丹博物館、防火文化資料室があります。
切支丹博物館は、美術品収集家故佐藤圭一氏寄贈によるマリア観音、宗門改め踏み絵をはじめ切支丹ゆかりの文化財的遺品百余点を所蔵しています。 |